押水町史 八九七頁 御舘神社の項より
「承久三年(一二二一)七月、順徳天皇が佐渡国に遷幸なされた際、若狭国小浜港から御乗船なされたが暴風が忽ち吹起り、山のような大浪に航行が困難になった。天皇は航行安全を天照大神に祈念なされ、加州亀塚村(今の大崎)に着船なされた。その時天皇は、艮に当って紫雲のたなびくのを御覧になり、供奉の臣右近衛中将藤原実友にその地を探らしめ、遂に当村日吉山の勝景を見出された。そこで山を開きその西南に社殿を建立し、大神をいつき奉り、鸞與を暫くその地に留めなされた。此の時から御舘の名が生れた。」 |
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というわけで順徳天皇だそうです。順徳天皇といえば、承久の乱で佐渡に配流されたということになっており、ぴったり一致します。しかし、押水町では、
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「おおよそ16世紀の守護クラスの居館跡と推定されます。」となっています。なんで? |